磯のグレ釣りが好きな大分の釣り師、池永祐二。2006年からの“磯にはいつも夢がある”を継いでいるブログです。還暦を過ぎ、現役から一歩退いた形になりましたが、釣行記や趣味としての鳥見などを主体に、自然の素晴らしさを記録しています。
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「闘える様になったのう!」
平成元年の12月に3回戦で三原憲作名人と竿を交え、2対1で負けた時に三原名人が掛けてくれた言葉は、今でも鮮明に胸の奥で輝いている。

遡る事昭和62年、“第10回G杯争奪がま磯(グレ)選手権”は、私が九州地区予選のトーナメントで、初出場初優勝を果たして乗り込んだ全国大会です。

その大会の一回戦で三原名人と対戦し、5㎏対0で負けた悔しさ。負けた原因の本流釣りを一年間みっちり練習。昭和63年の九州地区大会を連覇し、再び全国大会に臨む予定でしたが、昭和63年は昭和天皇のご病気で延期になりました。

平成元年の12月には昭和63年の出場選手と、平成元年の出場選手が集まって、“第11回G杯争奪がま磯(グレ)選手権大会”のトーナメントは、またまた日振島で開催。三原名人との試合を望んでいた私は2回戦を勝ち抜き、3回戦で再び三原名人と竿を交え2対1で負け、「闘えるようになった」との声を頂いたのです。

昭和62年のボロ負けに続き、平成元年で対戦した時に掛けてくれた三原名人の言葉が、私の釣り人生にトーナメントで戦う意義を吹き込んだと思っており、現在の私のグレ釣りスタイルの原点にもなっているのです。

その後の試合は私が2勝1敗で、三原名人との通算成績は2勝3敗となり、少しは恩を返すことも出来ましたが、もう竿を交える事は叶わなくなりました。

その三原名人が今年の2月に癌でご逝去された時には、全く信じられませんでした。ご本人の遺言を守り、3か月後の5月15日に釣り関係の方々が集まってお寺のお墓にお参り、亡き三原名人を偲んだのです。

三原名人と共に、レディースグレの全国大会を引っ張ってくれた、橋本敏昭名人も九州からお参りして頂きました。がまかつの社長を始め多くの方々が三重県に集まって、三原名人を偲びお別れした一日となったのです。

心の師・・8歳年上の三原憲作名人。
ご苦労様、ありがとうございました。ゆっくりとお休みください。





運営をして頂いた横井名人を始め、多くの方々には大変お世話になりました。
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