磯のグレ釣りが好きな大分の釣り師、池永祐二。2006年からの“磯にはいつも夢がある”を継いでいるブログです。還暦を過ぎ、現役から一歩退いた形になりましたが、釣行記や趣味としての鳥見などを主体に、自然の素晴らしさを記録しています。
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私が初めてG杯グレに出場したのは1987年の第10回大会の日振島。その一回戦で三原憲作名人と対戦し、5㎏対0㎏で大敗(後半の50分は負けを宣言し釣りを見学)

初出場当時は33歳、九州地区予選は大分県の蒲江で開催され、100名近い参加者でトーナメント戦。あれよあれよと4回勝ち上がって初出場初優勝。その勢いで全国に臨みましたが5㎏対0㎏の負けは衝撃的で、G杯グレに火がついてしまったのです(^^)

翌年は敗戦要因の本流釣りをマスターし、1989年は3回戦まで進み、この時は三原名人に1匹差での惜敗でした。その後も挑戦すること数回を経て、初出場から13年目の2000年に五島で初優勝、続く2001年も五島で2連覇の偉業を果たす事が出来ました。

1988年は昭和天皇の御病気で延期。1990年・1992年・1994年はチヌの大会と隔年開催だったので、グレの大会はありませんでしたが、翌1995年から今年まで毎年開催。よって通算の開催だと41回目ですが、4回の未開催を引いて37回目のG杯グレなのです。

私がG杯グレに出場していた当時、九州予選はトーナメント戦で全国切符を争っていましたが、10年位前だったかな?全国統一で一発大会となりました。

全国大会の試合も以前はトーナメント戦でしたが、1997年から開催されたロイヤルカップのリーグ戦と審査方法を参考に、競技方法が大幅に変りました。この変更で一回戦で敗けて終わる選手が居なくなり、4試合を目一杯戦える様になったのです。

全国大会の人数は30年前は32名だったと記憶していますが、リーグ戦とともに48名の参加者に増えました。しかしながら昨年の米水津大会からは、36名まで人数が減っての開催。以前は優勝者に3年シード・3位までには翌年のシード権が与えられていましたが、2~3年前から、シード権は一律1年に変更されて今日に至っています。

2003年以降は同じ優勝者が出ておらず、全て変わっています。私は2005年からスタッフ参加でG杯グレに携わる様になっており、これからもお手伝い致します。

憧れのG杯、私の釣り人生を大きく変えた大会です。

私の釣り人生を大きく変えたG杯グレ

スタッフの打ち合わせ

懇親会前の組合せ抽選会

藤本大会副委員長の挨拶

初日は懇親会・二日目は敢闘祭をホテルで・・

各パート毎に抱負などスピーチ

米水津渡船組合の7名の船長たちは団結力が凄い

決勝トーナメントのマキエ作り

予選リーグの出港風景

良く走り回ってくれます

3位決定戦の鶴永選手・遠景は千畳敷の決勝戦

オナガも出てくれました

ベスト8の猪熊選手

惜しくも4位の大澤選手

お立ち台のヒーローと仲間達


G杯グレ・・・選手たちが素晴らしい。もちろん大会そのものも(^^)
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